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「やっぱり自衛隊はきつかった?」とか「なんで辞めたの?」とか聞かれることは度々ある。「いろいろあるけどね」なんて言いながら「プロフェッショナル・フンドシストを目指していたから」とか「孫みたいに可愛がってくれったお爺さんのお葬式に行けなかったから」なんて答えたりする。どれも嘘じゃない。
けれどやっぱり「ワクワクしていたかった」のだと思う。
「置かれた場所で咲きなさい」「自分次第でしょ」そういう言葉は尤もだと思う。けれど、先輩に恵まれて、仕事も楽しくて、承認欲求も満たされて、そして安定していた環境を投げ捨ててでも「ワクワクしたい」と思った自分の選択を肯定したい。きっとそのままでも満たされて生きていけた。整備は楽しかったしYSではちやほやしてもらえたし。
けれどどうしても、「未来が見えないこと」よりも「未来が見えてしまうこと」の方が恐ろしかった。
じゃあ今は「ワクワクできているのか」って言われたら返す言葉もないのだけれど。
けれども胸を張って言える。自由を謳歌しているってことだけは、自信を持って言える。
令和2年5月2日(土)
「人は再び感動するために、忘れてまた生まれてくる」というような表現が「夢をかなえるゾウ2」に出てくる。「最初から手に入っていた人よりも、苦労して手に入れた人の方が有り難みがわかる」なんて言葉もよく聞く。
そう考えると、安定した仕事をずっと続ける道を選ばずにふらふらと生きている自分を、肯定してみてもいいようにも思えてくる。いややっぱり置かれた場所で熱中する姿勢が足りないと言われたらそれまでなのかな。
それでもいい。少なくとも自分は、環境を変えることで新しい気持ちになれていると思う。
令和2年5月2日(土)
軽い鬱と軽い躁を繰り返している。どちらの状態も日常生活や仕事に支障はない。けれど何もしたくない日や憂鬱な日がある一方でやたらテンション高い日もある。何もしたくない日には退屈だし不安になったりもするけれど。
それでもいいじゃんって思う。躁の日を楽しめるなら、鬱の日に充電することにも前向きになれる。振れ幅が小さいから言えることなんだろうけれど。
そっちの方が人間的じゃないかとも思う。
令和2年5月2日(土)
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「思考の整理学」には「アイデアは寝かせろ」と書いてある。インプットしたら忘れてしまおう。時が来たら自然と答えが出る。
だから無理に考える必要なんてない。触れる情報を増やせば。そして自分に咀嚼する猶予を与えれば。答えは自然と出る。きっと。そう思う。
令和2年5月2日(土)
↑どれも過去に書いた随筆と重複する部分があるかもしれない。けれどその時その瞬間に浮かんだ言葉で何度でも書いてみようと思う。決して同じものにはならないはずだから。色合いが違うかもしれないから。読む人が違うかもしれないから。読む人のテンションが違うかもしれないから。振り返る自分の目線が違うかもしれないから。
関連記事:身軽に動ける自分でいたかった 共病略歴 触れるから、選べるんだ。動くから、予熱できるんだ。 トライアンドエラー 「思考の整理学」を読んで
令和2年5月2日(土)
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動物占い太陽グループだからなのかそうじゃないのか、「綺麗なコード」を書こうとしてしまう。正解を探してしまう。
けれど思考錯誤して「とにかく動く」ものを作っている時間も割と好きで、それでいいと思うことで肩の力を抜いて楽しめるような気がする。
令和2年5月20日(水)
リリンのS2機関、それはやる気。
令和2年5月21日(木)
全自動卵割り機の肯定
無駄かもしれない、けれど私たちにはその余裕がある。だから楽しめばいいんじゃないだろうか。
令和2年5月29日(金)
あとがき〜3月を振り返って〜
ひたすらLaravel。仕事は6月の半ばから探すことにして、Laravelのことだけ考えていた。
令和2年6月26日(金)