自衛隊を辞めた理由はいくつもあるけれど。
初対面で答える場合は「この話」がちょうどいいかもしれない。

祖父は早くに亡くなっていた。けれど、祖父の友人が孫のように可愛がってくれた。
お葬式に、行けなかった。仕事の都合で。お通夜にしか行けなかった。それも、なんとか時間を作ってやっと、一目お顔を見ることしか叶わなかった。

嫌いな仕事じゃなかった。楽しいこともあった。
けれど、身軽に動ける自分でいたかった。

平成31年1月20日(日)

何かをするということは、命を削るということ。だってそうじゃない?自分の人生には終わりがあって、時間は有限で、その有限の時間のうち一部を割り当てるということは、命を削るということ。
私が命を削りたいことは何だろう。
やりがいのために行う仕事。心地良さに繋がる習慣。誰かと話すということ。
自分から話せる人や、誰とでも分かり合える人よりも、表現が得意でない人や、自分でさえ言いたいことがわかっていない人が、言葉を紡ぐ手助けをしたい。

平成31年1月20日(日)

お世辞は言わない人間だけれど、STRは「どれを言うか」の話だと思っている。数ある想いの中で、嘘偽りない想いの中で、相手が▽なら「すごい」に焦点を当てるし、◻︎なら「実績」に焦点を当てるし、○なら「努力」に焦点を当てる、全て正直な気持ち、そういう話だと思っている。

平成31年1月21日(月)

人生において、89%はどちらでもいいこと。残りの11%が自分でわかっていればいい。
もっと言えば、10%は他に手段を知らないだけ。本当に大切にしたい1%だけにこだわればいい。その1%だけは、何としてでも大切にしたい。
(割合は直感&主観)

平成31年1月21日(月)

私は、自分のことを「ご飯依存症」だと思っている。食べないと禁断症状が出て、考えがどんどん後ろ向きになる。
「睡眠依存症」でもあると思う。きちんと寝ないと、やはり禁断症状が出て考えが後ろ向きになる。

平成31年1月21日(月)

スポイルされた熊は射殺していいことになっている。野生を忘れてゴミを漁るようになったクマは、人に危害を与えるのだと。鈴原トウジはそう語る。
スポイルされた人間は神に射殺される。とも。
果たして、わたしは神に射殺されないと断言できるだろうか。野生を忘れて人間に成り下がった私、目標を立てずに生きている私、その日その日を生きている私は、スポイルされた人間ではないと言い切れるだろうか。

しかし私たちは火を恐れなかったはずだ。私たちは知恵の実をかじったはずだ。私たちはその時、人間に成り上がったはずだ。
夢がなくとも生きていけることを証明してみたい。
夢を追わずに、夢に追われる生き方ができると証明してみたい。
それが私の、夢だ。

平成31年1月22日(火)

↑「目の前のことを1つひとつ丁寧にこなしていけば、達成感も得られるし幸せだよね」という内容を付け加えようとして、「あれ、それって狩をしていた頃、つまり野生に戻ることだよね」って思って、筋が通らないことに気づいてやめた。
一番言いたかったことそこなのにな。

平成31年2月5日(火)

Kは言った。走ると長くは生きられない。
私は思った。走らねば生きられない。
走ることで、忘れられる。押し潰されずに済む。

平成31年1月24日(木)

イヤフォンを付けて夜道を走る。ランダムなプレイリストは、”Dead man’s boots”を流しはじめた。
造船所で息子を働かせたい父と、ギターを片手に街を飛び出したい息子のすれ違いを歌った歌。
この歌を聴きながら、夜の駐屯地を走っていた。もどかしさを胸に。いつまでも自衛官をやめられない自分を、歌詞に重ねて。
その頃の何分の一という稼ぎで、足も遅くなり、持っているものは遥かに少ない。そして得たものは遥かに大きい。

平成31年1月27日(日)

気づいたら17km以上走っていた。帰宅して食べたカレーが、とてつもなく美味しかった。そして幸福感に包まれた。
人間の幸せとはそういうものかもしれない。走らなければお腹は空かないだろうし、あらゆることが自動化できるのかもしれないけれど、それを「あえてやる」ことで幸福感を得られるのかもしれない。「無駄にこそ価値」があるのだろうな。

平成31年1月28日(月)

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