心にうつりゆくよしなしごとをそこはかとなく書きつくって自分を集めた事典
休職前夜〜H29.1〜

休職前夜〜H29.1〜

前書き〜令和の時代から、未来の私が〜

こういう状態でも働かせようとする組織が、日本にはあります。
こういう状態でも働こうとする私が、かつていました。

正解なんてわからない。けれど私は、誰か大切な人が潰れそうだったら、無理矢理にでも引っ張り出したい。独りよがりかもしれないけれど。
放っておいて死んじゃうのは、嫌だから。

令和元年5月21日

死にたい
動けない
もう嫌だ
逃げ出したい

−−なら死ねばいい
−−未だに命を繋いでいるのはなぜだ
決心が
つかないんだと思う
未知への恐怖か
それとも諦めきれていないのか
まだ誰かが何かを変えてくれると
助けてくれると信じているのだろうか
残してしまう人を
悲しませたくないのだろうか

−−そう考えたときもあったろう
−−今は?
誰が……
誰があんたらを守るために
生きたくもない人生を生きてやるものか
娑婆苦に満ちた世界を
耐えてやるものか

決心がつかないだけ
優柔不断の隙を与えず
死という現実を与えられさえすれば
喜んで飛びつくのだ

誰か私が眠っている間に
そっと絞め殺してくれる者はないか

平成29年1月13日
嬉しかった
心の壁が
A.T.フィールドがなくなるかと思った
溶けてL.C.L.になってしまうかと思った

今は思う
L.C.L.になっておけばよかった

違うな
私は死にたい
だが消えたくない
私が死んでも
私の意思と痕跡と記憶と
私の呪いは
残っていてほしい

なんとわがままなことか
死にたいと願い
同時に世界に私の存在を知らしめたいと願っているのだ
忘れられたくないと願っているのだ
自分の存在が死後も消えないことを願っているのだ

私を消さないで
私を殺さないで

平成29年1月13日
優しい言葉をかけてくれた人たちだって
すがられたら突き放してしまうんだ
カルネアデスの板の上で
相手を突き落として自分が生き残っても
それは責められるものじゃない

でも
溺れている人間はどうすればいい?

平成29年1月13日

また1日がはじまる

嫌だ……
嫌だ……
嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ!

誰か助けてよ

−−自分では努力もせず、何の行動もしようとしないのに、誰かが何かを変えてくれるのを待ってる。自分から動いて、自分が変わらないと、自分の世界は変わらないというのに。
じゃあ、いいんだ。助けてくれないなら。何もいらない。
もう、いいんだ。

平成29年1月13日
休職前夜
今までなら防げていた不注意

拒馬
目覚まし
鍵を返納

複数回泣いている
警衛下番
宴会後

死にたいという心の声

ずっと唱え続けている
でも死なないのは決心がならないから
なぜ産んだ?と思っている
あんたらの情動のせいでなぜ苦しまなければならないのかと感じる

動けない

集団作業
今までは「やらなきゃ」「でもなにを」「あたふた」
今は「やらなきゃ」「これを」「でも動けない」

起きたくない

朝が苦痛

集団生活

誰からも見られたくない
他人の声や物音を聞きたくない
どこにも居場所がない
落ち着かない
実家さえ
でも実家は比較的楽
居場所がないだけで
恐怖もないから
職場は恐怖
人混みも恐怖

身体症状

動悸
心拍数が上がる
息が苦しい

逃げ

甘えかもしれない。でも逃げたい。

衝動

これまで、言いたいことも、人を傷つけることなら我慢できた。
今は傷つけるとわかっても言ってしまう。
暴れたくなる衝動を抑えている。
椅子を窓に投げつけたい気持ち
誰もわかってくれない、助けてくれないならみんな死んでしまえ、私も死んでしまえ、という気持ち。
自ら動いていないくせに。動かなければ何も変わらないのに。

平成29年1月14日
「手伝わないばかりか、残業の事実さえ知らないとは」
当直の彼はそんな目をしていた。
自分がみじめだった。

詳細を教えてくださる相部屋の先輩。
せっかく教えてくださっているというのに。
私は友人のことを考えていた。
だって、つい先日首を吊ったと言っていた友人が、今度は「限界かもしれない」と言ってきたところを、返事を焦らずにいられるというのか。
こんなときの、上手い身のこなし方を、私は知らない。

ちゃんと聞いた。
同じ説明を繰り返せと言われればできる。
ある機材のある表示が不良。原因は閾値を調整する可変抵抗。
本来の調整方法は、他の機材での表示を見ながら可変抵抗を調整するものの、それができない。
単独でもおおよその値は見ることができる。

それに、状況を言えばわかってもらえるはずだ。「大事な友人が、限界かもしれない」と。

でも、そのどちららも、「私が理解した」ということも、「緊急を要する(少なくとも私の心情としては)状態である」ことも、いかに伝えられようか。
人と人とのミスコミュニケーションとは、なぜ起こってしまうのだろうか。

そう、咎められでもすれば、私は言えたはずなのだ。言い訳に聞こえないように気をつけながら、非礼を詫びつつ、説明できたのだ。
しかし、咎められることはあるまい。だって先輩は優しいから。
その優しさに、後ろめたくなる。

平成29年1月13日
「私は死ねないのだと気づいた」
それは間違いじゃない
でも、逃避対象からの一時的な隔離によって、生の体感的な価値が高まり、デストルドーが相対的に弱まり、死の相対的な恐怖が高まったにすぎない。
生の体感的な価値は、高めてもらったというのも事実。一人じゃないと思えた。嬉しかった。生きたいと思った。
しかしそれは現実逃避の結果に過ぎなかったのだ。

恐怖から一時的に隔離された状態で
恐怖の存在しない世界で
生きたいと願う
何と簡単なことか

死という安直な逃げ道を
一度は手放した
それは我ながら強さだったと思う
みんなからもらった強さかな
でもその強さの絶対値は
日常への回帰に際し
忘れていただけの恐怖を前に
相対的に脆弱なものとなった

再び
死にたくなったのだ

平成29年1月13日
猫が2匹いた
寄り添っていた
君たちは怖くないのか
そんなに寄り添って
他者が怖くないのか
私は1人だった
身も心も
1人だった
平成29年1月9日
マスクが無いと出られない
この何週間か
でも元々マスクをしていたのかもしれない
笑顔というマスクを
それに疲れたから
既製品のマスクを買わざるを得なくなったのだ
平成29年1月9日
この感覚
この気持ち悪さ
逃げ道を塞がれた圧迫感?

「置かれた場所で咲きなさい」の類の言葉は
頻繁に私を追い詰める
だって私は置かれた場所で咲いていないもの
咲こうともしていないもの
やる前から諦めているもの
環境が違えば自分だって
と逃げてばかりだもの
そんなこと言われなくてもわかってる

でも私は弱いから
逃げてみたくなる
逃げた先で咲けないか
動いてみたくなる

枯れるよりはいいだろ?

この感覚が沸き起こり
私はまたしても他人への接し方に敏感になってしまった
励ますつもりの言葉が
相手を追い詰めるかもしれない

そして自分自身を見つめてみれば
干渉されたくないと思っている
−−でも自分の投稿に対してみんな言葉をかけてくれているんだ
−−干渉されたと感じて気持ち悪いなら
−−初めから黙っていればいい
−−私に構わないでと言葉を発信すればいい
−−何を求めて言葉を発したのか
嫌われたくなかったから
そっけないと思われて
みんなが離れていくのが怖かったから
−−構ってほしかったから?
構ってほしかったから
−−構ってもらえて満足?
気持ち悪い
−−他人が?
自分が

平成29年1月7日
人の優しさに浸っている
素直に嬉しい
でも気持ち悪い
愛されることに慣れていないから?
裸の王様だとは感じていない
違うと感じているのではなく
今の私はそこに意識が向いていない
裸の王様への恐れ以外に
優しくされることに対して気持ち悪さを感じる原因があるとしたら

貴族でありたいという願望?
過剰な自意識?
それとも
他人への恐怖?

平成29年1月7日
鏡の法則

これまで私が追い込んできた幾人の人に
向けてきた言葉を
今度は私が
自分の内部対話として
自分自身に向ける

そしてこれまで与えてきた感情を
気持ち悪さを
今度は私が
自分自身に対して味わわせているのだ
自業自得

平成29年1月13日
>これまで私が追い込んできた幾人の人に
(誰だっけ……?)
令和元年5月21日
小学生の私は
散々だった
自分の思い通りになる存在を
味方だと認識していた

今の私は
理解者を求めている

評価してくれる人なんて
高望みだと思っていたのに
いたなんて

不意打ちだよ
嬉しい

平成29年1月14日
>いたなんて
>不意打ちだよ
>嬉しい
(誰のことだっけ……?)
令和元年5月21日
歩いている
宿を探して
今日1日
命を繋ぐために
生きるために

でも
このまま死に場所を探しに行ったっていいんだ
私の居場所なんて
どこにもないのだから

居場所がないなら作ればいい?
私も昔はそう思っていた
でももう疲れた
もう何もしたくない

生は呪いだ

芥川は言った
神に同情するとすれば
神は人間のように自殺できない点だと
でも人間だって簡単には自殺できない
死を望んでいても
同時に死を恐れている

運命は私を休ませてはくれない

結局私は
腹を切る度胸もない死に損ないなんだ
そうしてだらだらと延命を続けるんだ

平成28年12月31日
共病略歴


H20.4:中学入学。自分が生きる意味を考えはじめたら何も拠って立つものがないことに気づき、無力感から引きこもる。
H23.3:中学卒業。意味がないなら作ればいい、人の役に立つ仕事を、と思って自衛隊へ。(そのくらいの選択をしないと高校を卒業できない、という危機感も)
H24.4:生活にも慣れ、主体的な学びの楽しさを知る。
H26.3:高校卒業。元気だったと思う。若さで溢れていた。
H27.4:プロフェッショナル・フンドシストを志す。
H27.10:退職の希望を上司に伝えるも、引き止められる。
H28.4:冬に実施される訓練への参加が決まる。九州で30人しかいない役割で。
H28.8:上昇を続けたメンタルヘルスチェックの点数が危険値に達する。
H29.1:医師より「うつ病」の診断、職場には渋られるも休職。

教育を受けるだけ受けて、何も貢献できないまま退職してしまったと思う。そのことは、胸を張れることでは決してない。
しかし、身勝手を承知で言うならば、自衛隊に入ったことにも辞めたことにも後悔はない。多くを学べた環境であったことは確かだし、今の方が幸福度は高いし。
どうすればよかったのだろう。どうすれば、この不義理を犯さずに自分は学べたのだろう。どうすれば、この不義理を犯さずに今の幸福度を手に入れられたのだろう。
わからないけれど、今の自分にできることは、今日から、今から、最善の選択をすること。しつづけること。その時その瞬間、最善だと思う選択を。

令和元年5月25日

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