できなかったことができるようになるのは楽しい。
8月は色んなことを学んだ。laravelでプロジェクトを作って、ルーティングして、データベースを読み込んで、条件に合ったデータを読み込んで、テンプレートに渡して、フォームを作って、フォームから情報を受け取って。フールプルーフを考えて、データベースに書き込んで。
楽しかった。アルゴリズムを考えるのは気持ちいいし、動くと嬉しい。故障排除だって嫌いじゃない。
でも怖いんだ。「ただぼんやりとした不安」が、時折私を襲う。PHPの海に呑まれてしまいそうな、そんな恐ろしさが私を襲う。
ただただL.C.L.にでもなってしまいたい……。
「与えられた課題をこなしてテストために勉強するよりも、自ら興味を持ったことを学んだ方が楽しいし結果が出る」ということを学びました。
私の場合は、高校時代に英語に力を入れていたので、テスト勉強はしていないのに英語力が伸びて点数が後から付いてくる状態になって幸せでした。
そういう、ランディ・パウシュ先生の言葉で言う「頭のフェイント」的な学びこそが学校で学べるものではないでしょうか。
でも「中身はないけれど誰かに元気を与えるかもしれない言葉」ってあると思う。「お疲れ様」とか「頑張ったね」とか。うん。これからも随筆を続けよう。
ただ単に3rdインパクトの雰囲気が好きなだけかもな。
It all returns to nothing. I just keep letting me down, letting me down, letting me down.
再発防止は、有るには有る。
〜やろうとしたこと〜
今まで、scpでプロジェクトを丸ごとコピーしていた。だから、サーバーではちょい前のバージョンのプロジェクトが、問題なく動いていた。
初gitなので、一度ディレクトリを削除してcloneしようとした。削除した直後にネットワークが落ちた。
〜「たられば」のお話〜
git add .
git remote add origin https://github.com/asobikatan/asobikatan.git
git reset –hard origin/master
git pull
を、最初に試すべきだったのでは?
教訓:特に海外は、「wifiある≠ネットワークが安定している」ということを肝に命じておかないといけない。誰かの言葉を鵜呑みにしてはいけない。
P.S.
たらればって、カニみたいで美味しそう。鱈+レバーとはならない。なんかカニみたい。
シ「何か役に立ちたいんだ。ずっと一緒にいたいんだ」
ア「じゃあ、何もしないで。そばに来ないで。あんた、私を傷つけるだけだから」
シ「僕を助けてよ。アスカじゃなきゃダメなんだ」
ア「嘘ね。あんた、誰でもいいんでしょ。ミサトもファーストも怖いから、お父さんもお母さんも怖いから、私に逃げてるだけでしょ。本当に他人を好きになったことないのよ。自分しかここにいないのよ。その自分も、好きだって感じたこと、ないのよ」
という状況のシンジ君であり、アスカ自身も表裏一体であり。
シンジ君の言葉に感情移入すると同時に、「1番でいるから自分でいられる」と思っていたかつての自分を思い出す私です。
そして今も、きっと仕事で自分の存在を確かめようとしている。
拙著「マズローの奴隷」ではこんなことを書いたな。
きっと私だ。私が仕事中毒なんだ。私が追い求めている「夢」って、結局仕事。仕事で賞賛を浴びたい。今、束の間の幸福に浸っていられるのも、仕事で認められているから。元の日常へ戻るのを恐れるのも、仕事でちやほやされなくなるから。
では、「仕事」を禁止語句にしたら、「私」という人間についてどれほどのことが語れるのだろうか。
あ〜。アスカのママになってあげたい。
休日を待ち望んでいるとします。しかしふと気付いたとき。「その先に何があるのだろう。休日を待ったところで、その先にあるのはまた同じ日常ではないか」と気付いたとき。
つまり幸福とは、ただの感情であって、何を持っているかは関係ないというわけです。