心にうつりゆくよしなしごとをそこはかとなく書きつくって自分を集めた事典
マズローの奴隷3-08

マズローの奴隷3-08

マズローの奴隷
第3部 猶予期間 その8

「一度はマズローに救いを見た。強さのニヒリズムを依代としたこともあった。でも今は、ただただ弱さのニヒリズムの中で苦しんでいるんだね」
逃げだよな。結局、悲劇の主人公になりきって、やらない言い訳をしてるに過ぎないんだ。頭ではわかってる。死ぬ度胸がないなら、いかに生きるかを考えるのが前向きだって。でも動けないんだ。身体が動かないんだ。マズローの牢獄で快楽から逃れるには、愛が必要なんだ。愛があれば、マズローの奴隷にならなくても、満たされて生きていける。でも、他人との距離なんて、曖昧で不確かなものだろ?一番身近にいて、一番長い時間を共にする存在。それが自分なんだ。だから自分を愛するということが、マズローの牢獄から解放される最も確実な方法なのさ。なあ、人々にとって「生きる」という選択さえも、もっと能動的で主体的なものであっていいはずじゃないのか?当たり前のように「生きる」という選択をして、「生きる」という選択肢が明日も与えられると信じて疑わない。これって変じゃないか。それさえも、「メディアの価値観」じゃないかと思うんだ。

「では君は死ぬのか」
考えることはある。

友人は、私に病院を勧めた。返事をしなかった私に、友人は強く言わず病院の名前と地図が書かれた紙を寄越した。

「気が向いたらでいいから行ってみろよ。実は僕も、前に行ったことがあってね」
そうか……。でも死ぬことはきっとないよ。そんな度胸ないもの……。いや、実は正直なところ、わからないんだ。自分では死ぬ度胸なんてないと割り切ったつもりでいた。でも、日に何度、心の声が死にたいと囁くんだ。これは俺の意志か?思考の習慣か?本当は、心の底で死を望んでいるのかもしれない。死という救済を夢見ているのかもしれない。でも死を恐れてもいるんだ。死への恐怖は、未知への恐怖か?生存本能か?もう自分がわからないんだ。マズローの牢獄入ってまで自分を満たして、そうしてまで生きるに値する世界か?こんなことを考えるときは、決まって芥川龍之介の言葉を思い出すよ。「何の為にこいつも生まれてきたのだろう?この娑婆苦の充ち満ちた世界へ」そして「誰か僕の眠っているうちにそっと絞め殺してくれるものはないか?」俺もそんな気持ちさ。
「いいじゃないか。マズローの牢獄に入ったって。僕は君に生きてほしい。何が不満なんだ。皆に囲まれて、賞賛を浴びて、夢を叶えて、果ては社会貢献して。君にぴったりだし、君ならできるじゃないか」
そんな未来を夢見た日もあったよ。それに、高校のときは、マズローの階段を登って、自己実現の階層さえも満たされていた。幸せだったよ。
「だったら……」
でもさ、ふっと冷めちゃったんだ。それって、条件付きの幸せだろ?高校のときは満たされてたし、卒業してからもあの快感を求めた。でも、快感は、欲求が満たされている間しか手に入らないんだ。マズローの階段を降りて、承認欲求さえも満たされなくなったとき、気が変になりそうだったよ、いや、所属欲求さえも満たされていなかったかもしれない。組織の中で疎外感を感じていたからね。
「所属欲求も承認欲求も、自己愛で解決可能だと言ったのは君じゃないか。君の世界を作るのは、君自身の認識だと常々言っているじゃないか」
そうなんだ。そこなんだ。自己愛で満たされた世界は、マズローを必要とするのだろうか。
「君の主張は矛盾している。自己愛は死の対局ではないか。君ほどの人間が、自己陶酔と自己愛を間違うのか?自らの無力さに気付くまえに、自らの無能さが露呈するまえに、誇りの中で死にゆこうとする。それは自己陶酔にすぎない。君の主張する自己愛はそんな陳腐なものではないはずだ」
そうだ。全くその通りだ。
「付き合っていられない。君の手口は『死ぬ死ぬ詐欺』だ。死ぬぞ死ぬぞと喚いて、注目を集めようとしている。自己愛が足りぬからそのような行動に出るのだ。君の主張は全く正しい。君はエディプスコンプレックスを越えていない。なぜなら、やっていることが赤ん坊と何一つ変わらないじゃないか。もう付き合っていられない」

そう言って友人は去っていった。
「死ぬ死ぬ詐欺」か。何とも語呂の良い名前を付けてくれたものだ。さて、私も帰ろう。

お会計をお願いします。
「お連れ様がお支払いです」
あの馬鹿。また借りができてしまった。返さねば。

つづく

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