「この仕事、好きだな」って思う
リゾートバイト日本一周の旅、1箇所目は長野で5月2日から働いています。
来る人は9割9分娯楽だと思う。お子さん連れもいらっしゃるし同年代何人かの方もいらっしゃるし。
「この仕事、好きだな」って思うのは、お客様の楽しいひと時をお手伝いできるから、って言うとおこがましいかもしれないけれど、単に楽しそうになさっているのを見て幸せをもらうのかもしれない。
家事代行も整備も好きだったけれどね。それぞれに好きな理由があって、比べることはできないのだけれど、観光地でのお仕事の魅力を一つ発見したような気がした。(語り尽くされているかもしれないけれどね。自分が実感として感じたのは今だった)
けれど変わらないと生きていけないのなら、それは寂しいな。
心から望む変化は追いかければいい。成長したいなら努力すればいい。けれど、自分を偽らないとその場にいられないんだとしたら、それって悲しいことだと思う。
その言葉に出会ったのは一昨年の冬。焦りと不安を抱えながら仕事探しをしていたときだった。「当たり前だと思って、書くことがないと思っていても、それをブログにすると仕事に繋がったりもする」
その話を聞いて、一人勝手に思いついたのが、「自分の能力が今ひとつわからない自分は、身近な人と対談して、能力や思考や価値観についてブログにまとめたら、より自分のことを知れるのではないか」ということ。
そうして始まったのが、ふんどし王子辞典。
しかしなかなか対談の機会を作れず、ネタ切れの中で公開しはじめたのが、「マズローの奴隷」と「ふんどし王子随筆集」で、「自分の思想が色濃く出た小説と、日々『降りてきた』随筆を通じても、自分という人間をブログにまとめることはできるのではないか」という考えからだった。
「自分を知りたい」と思って、「自分を知ってほしい」と思って、「誰かに理解してほしい」と思ってブログを始めた。
けれどそれらの思いは、前ほど強くなくなったのだと気づいた。
きっと満たされたから。シェアハウスでの生活は楽しかった。仕事も充実していた。家事代行をやって良かったと思うのは、得意だということに加えて、お客さんに喜ばれて嬉しかったということと、自信がついたということ。
東京で生活した日々の中で、きっと人に癒されたし自信がついたし、自分のことを好きになったのだと思う。
今でも自分の書いた文章は好きだし、日々の生活で言葉が降りてくることはある。それを書き留めて更新することは続けていきたい。けれど、今までみたいに、承認欲求のために投稿したり、存在の依代としたりするのではないと思う。とりあえず今は。
ブログ書かなくても、自分は自分だって思えるから。
必殺仕事人
「社会人」という言葉は古いと思っています。学生でも事業をやっている人はいるし、フリーランスの人と会社員の人では働き方が大きく違うし。
それでもなお「月から金の朝から夕方に働いている人」というのは一定数いるのでそういう人を指す言葉があれば便利だよね、という会話をしていて出てきた言葉が「必殺仕事人」です。(フリーランスも仕事人だろうが)
今後は「月から金の朝から夕方に働いている人」を指す言葉として「必殺仕事人」を広めていきたいと思います。
けれど、「英語は伝える手段でしかないし誰にでもできるし、これから機械に取って代わられる」と思って、「何語で伝えるかよりも、何を考えるかの方が大事だ」と英語の勉強をやめた。依然として何者かになりたかった。
今は思う。特別なんかじゃなくても、やりたいことやればいい。家事代行やってリゾバやって、お客さんの笑顔を見られる仕事が好きなんだとわかってきた。より多くのお客さんの笑顔を見るために、もっと英語を話せるようになりたいと思うなら英語をやればいいし、他の言語を学んでもいいし、その時間で別のことをやりたいなら別のことに時間を使えばいいし。
自由になれた気がした。24の朝。
元気になったんだろうな。
当たり前か。少しずつ変化して少しずつ今の自分になっていったのだから。
それでも、きっとこれからも良くなるって、そう思える。
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夏の匂いもした。緑の香りかな。なぜだか懐かしくなった。
夏休み、って感じがした。
自炊がしたいのに、キッチンがない。そうだ、ジモミンと仲良くなって、料理を少し分ける代わりにキッチを借りる、みたいなリレーション築けないかな。
あれ、これってプロ自炊家??
「お金のために大衆に迎合することはない」というのが正確な表現かもしれない。私は、作りたいものを作る。書きたいことを書く。万人受けしなくていい。たった一人でも、共感してくれたり応援してくれたりする人がいれば嬉しい。というのが感じていること。
王子を応援する