前書き〜令和の時代から、未来の私が〜

この随筆に当てはめると、今の私は全てにおいて生きている。
そのことを意識できるのは、喜べるのは、かつて「全てにおいて死んでいた」からなのかもしれない。

令和元年5月23日
自分の心が
生きていて死にゆく人を模倣しようとしているのか
死んでいて生きた人を模倣しようとしているのか
わからない

生きているとはどのような状態だろう
息を吸って吐いて食事をして寝て起きてまた食事をしているということ?
だとすると私は生きている
だが身体的に生きているということと精神が生きているということとは同義であろうか

生きるとは
誰かと心を通わすこと?
ならば私は死んでいる
生きたいと願い
同時に怖れている
通わせるに値する心がないと知ったから
語るに値するものがないと気付いたから

自ら地に足を付けて自分の意思で歩むこと?
その場合も私は死んでいる
流されて
言われたままに動くばかりだから
生きたいと願っていた
生を掴もうとしていた
もがいていた
でも
もういいんだ
何もしたくない

自ら死を望むのか
自分は死を望んでいるのか
私は死を望んでいるのだと思っていた
しかし気付いた
死を恐れていることに
生を恐れて
死をも恐れているのだ
いつか何かが変わることを期待しているのだろうか
誰かが何かを変えてくれることを期待しているのだろうか
自分では何もしないくせに
誰にも何も与えないくせに
与えられることばかり待っている

目が輝いていると言われた
輝いていたのかもしれない
あのときばかりは
あの人に輝かせてもらっていたのかもしれない
生への希望を
垣間見せてくれたのかもしれない

平成28年11月20日
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