心にうつりゆくよしなしごとをそこはかとなく書きつくって自分を集めた事典
なぜ着物を着るのか〜うつだった頃〜

なぜ着物を着るのか〜うつだった頃〜

前書き〜令和の時代から、未来の私が〜

もしかすると、逃げているだけなのかもしれない。本当にやりたいことは自分でもわかっているのに、本気でやろうとするとその道のりは遠くて、もどかしくて、悔しくて、だから何も考えずに生きる道に逃げているだけなのかもしれない。
でもいいや。やりたくなったらやればいい。「いつか」って言っていてもその「いつか」は永遠に来ないかもしれない。いいんだ、来なくても。
ぶどうは酸っぱかったに決まっている?

なお、昔は着物を着ていました。面倒になって作務衣になりました。着心地と着やすさでは作務衣の方が上ですが、格式って意味でいうと着物ですよね。

令和元年5月20日
日本を取り戻すとの信念のもと、活動しています。

 黒船来航、大東亜戦争を経て、日本には西洋化の波が押し寄せ、本来日本に存在していた日本らしさは失われつつあります。薄利多売、大量生産の文化が浸透し、外国語にもなったMOTTINAIは、あろうことか日本の内側でさえ、影を潜めてしまいました。食卓にはパンやパスタがはびこり、学校給食でさえ定期的にパンが支給され、世界遺産にもなった日本食は、その故郷である日本でさえ地位を揺るがされつつあります。
 日本は危機的状況にあります。大東亜戦争はまだ終わっていないのです。軍事的な衝突の終結が、終戦の全てでないことを、私は確信しています。文化の侵略によって、民族は消滅しうるのです。
 軍事的な衝突の勝敗のみが、戦争の勝敗ではないことを、私は確信しています。戦争目的の達成こそが、真の戦勝なのです。大東亜戦争は、石油を確保し、アジアを解放することが目的でした。その目的は達成されました。大東亜戦争は、大日本帝国の勝利によって終結したのです。しかし、真の目的であった、日本民族の存続、そして大東亜共栄圏の建設。これらは未だ、危機的状況にあります。依然として日本は、文化の侵略という危機にさらされているのです。
 私はこの危機的状況下において、本来の日本人が持っていた古き良きものを、現代に取り戻すことが使命であると信じて疑いません。祖国を思い、我々子孫のために散っていった英霊たちが描いた未来は。いかなるものであったのでしょうか。
 私の主張は、外国人排斥ではありません。先進技術の否定でもありません。
 国際社会の中で、現代の中で、失われつつある古き良きものを、もう一度取り戻し調和を図るのです。
 ある日私は自転車に乗っていました。坂道を登っていたあのとき、閃きが舞い降りたのです。浮かんできた言葉はこうです。
日本古来の良いものを現代に取り入れ
外国文化先進技術との調和を図る
 これが私の、使命です。

平成29年5月5日

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