自分の料理が好きだ。
けれど作る気にならない。食べたいのに。
けれど作る気にならない。食べたいのに。
平成31年4月3日(水)
自分の声が、聞こえているだろうか。
言葉が届かないことを寂しいことだと感じつつ、他でもない自分の声を聞けているだろうか。
根源は、自分を感じることができていないことなんだろうな。自分の思ったことや、感じたことを。自分でもわかっていないから、表現が拙いし伝わらない。
言葉が届かないことを寂しいことだと感じつつ、他でもない自分の声を聞けているだろうか。
根源は、自分を感じることができていないことなんだろうな。自分の思ったことや、感じたことを。自分でもわかっていないから、表現が拙いし伝わらない。
平成31年4月6日(土)
「何を感じているか」を言葉にするだけが全てではない。自分にとって気持ち良いことと気持ち悪いことがわかっていて、未来の自分をより快適に過ごさせてやることができればいい。
平成31年4月6日(土)
なか卯のキャンペーン、4種類の景品のうち3種類はもらえるはずだったのに、当選後の住所入力を忘れていてもらい損ねた。(28人前食べた)
あんたバカァ?
あんたバカァ?
まあね。引越し前だからね。荷物増えなくてよかった。
あのぶどうは酸っぱかったに決まってる。
平成31年4月10日(水)
電車に乗るとする。具合が悪くなるとする。助けてもらうとする。
うん。大事にならなくてよかった。
けれどそれで電車が遅れて何百人って待たせるなら、そもそも家を出る時点で大事を取るのが責任ある姿勢なのかもしれない。
そうまでして働かないといけないのか?
うん。大事にならなくてよかった。
けれどそれで電車が遅れて何百人って待たせるなら、そもそも家を出る時点で大事を取るのが責任ある姿勢なのかもしれない。
そうまでして働かないといけないのか?
と言いつつ、自分も仕事しちゃうんだろうな。行けるかどうか、考えるのきついもん。
平成31年4月16日(火)
脳筋の自分。思考停止の自分。本に囲まれる友人。この人はきっと、多くを吸収して多くを考えて自分の内面を深めてきた人なんだろうな、という感覚。
自分はこのままでいいのだろうか、という感覚。
自分はこのままでいいのだろうか、という感覚。
平成31年4月20日(土)
夏っぽい空気の懐かしさ。ちょっぴり寂しい気持ちになる。何を思い出しているのだろう。いつが懐かしいのだろう。
平成31年4月23日(火)
気づけば4月も下旬。着々と予定をこなして、引越しの日が近づいてきている。
お客さんに恵まれていたな。
お客さんに恵まれていたな。
平成31年4月24日(水)
お土産とか買うとき、好みを外しちゃうかもって思うのと、自分がミニマリストなのとで、お菓子とかお酒とか買うことがほとんどなのですが、フラワーギフトという選択肢があることを発見しました。
母の日も近いことだし、帰省の予定がない人はいかが??送料込みで2千円くらい。
↓↓↓↓↓↓
母の日も近いことだし、帰省の予定がない人はいかが??送料込みで2千円くらい。
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平成31年4月25日(木)
「最近どう?」という質問が苦手だった。何を答えていいかわからなかった。
けれど最近は大丈夫になったし、むしろ自分も尋ねるようになった。
訳としては「君が好きだよ、君の話が聞きたいよ」って意味で使っています。
けれど最近は大丈夫になったし、むしろ自分も尋ねるようになった。
訳としては「君が好きだよ、君の話が聞きたいよ」って意味で使っています。
きっと「自由になった」のだと思う。「端的に正確に答えねば」という囚われから解放されて、雑にとりあえず「順調」とでも言っておけばいい、会話はそのあとで広げればいい、と思えるようになったのではないかな。
あとはテンションのバロメーターかも。「順調」と言えるときは本当に順調なときで、「最近どう?」と尋ねられて不快なときは、「わかってもくれないくせに」と思っているときなのかもしれない。
平成31年4月27日(土)
脳筋の自分。このままでいいのかと思う自分。みんな、いろいろ考えてんだな、と思う自分。すごい人はすごいんだな、と思う自分。自分がちっぽけに感じられる自分。
「周囲を羨ましいとは思わない」とKさん。俺は?
「周囲を羨ましいとは思わない」とKさん。俺は?
平成31年4月27日(土)
「うつヌケ」という本が好きだった。「うつトンネルから抜けた人に話を聞いてまわる」というマンガで、本棚に置いていたはずが見当たらず、探していた。のだが、結局友人に貸したのを私が忘れていただけだったと発覚した。
読んで心が軽くなった本だった。なんだかわかってもらえたような気がした。
さて、引っ越しに際して断捨離をしているが、「うつヌケ」を持って行こうか、それとも誰かに譲ろうか。と考えたときに、前ほど読もうと思っていないことに気づいた。きっと、本当にうつヌケできたんだと思う。
これからも、疲れたりバグったりすると思う。けれど、明るい未来が待っているって、なぜだかそう思える。
読んで心が軽くなった本だった。なんだかわかってもらえたような気がした。
さて、引っ越しに際して断捨離をしているが、「うつヌケ」を持って行こうか、それとも誰かに譲ろうか。と考えたときに、前ほど読もうと思っていないことに気づいた。きっと、本当にうつヌケできたんだと思う。
これからも、疲れたりバグったりすると思う。けれど、明るい未来が待っているって、なぜだかそう思える。
平成を生きた23年間は、基礎を作る23年間であったように思う。これから、令和が始まり24歳になる。生きたい人生を生きる、新たな段階が始まる。
平成31年4月27日(土)・4月19日(金)
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