心にうつりゆくよしなしごとをそこはかとなく書きつくって自分を集めた事典
ふんどし王子随筆集〜31.3〜

ふんどし王子随筆集〜31.3〜

目の前に、赤いグミと青いグミがあるとする。

赤いグミを食べれば、一人暮らし。ゲストハウスに住んで、シーツを替えて掃除する仕事。週休2日、月給15万に社会保険。家賃はかからない。多くて3部屋の清掃。夜間は不測事態対処。あとは受付とか。自動化できるけど、漏れがないように対応。

青いグミを食べれば、シェアハウスに住んで、和室に住んで、帰れば誰かがいて、ときにお酒を飲んで話して、ゲストさんもたまに来て、
人んちの掃除して喜ばれて、安定はしないけど14万くらいは稼げそう。家賃払って10万残る。

俺の手の中には赤いグミがある。月曜にそれを食べる。
けれど……

平成31年3月9日(土)

今日の仕事は草むしりだったのだけれど、食べられないだろうかとか思いながらむしっていて、「植物図鑑」を買って料理してみようかな、とか思いながら仕事していた。

平成31年3月10日(日)

隙間の領域に行きたい、と思いつつ、自分の職業を振り返ってみれば真新しさはない。
どうなれば嬉しいかな。既存の職業であっても、素質を爆発させられたら幸せかも。

平成31年3月13日(水)

朝から、考えていることを書き留めるのがいい。と友人K。自分の感じていることが一層わかるようになるのだと。
はて。私は何を感じているだろう。日記を書くのをやめたけれど。書かなくなったから書けなくなったのかもしれない。
ただ、起きた瞬間に苦しいとか、ギリギリまで寝ていたいとか、そういった感覚はなく、目覚めは良くなったように思う。爽快感とまではいかない日が多いけれども。

平成31年3月14日(木)

決断疲れしやすい体質なのかもしれない。考えること自体は嫌いじゃないし、大事なことを決めるときに主体性を手放すつもりなはい。けれど、日々の瑣末な意思決定、米を何合炊くか、玄関を整頓するかどうか、食器をしまうかどうか、そういったことが(ピンと来る例が自分でも見つけられないけれど)、もしかすると私にとって負荷の高い作業なのかもしれない。
多分、今までは自分の領域が明確で、その領域の中を自動化することができたので、決断疲れに気づくことが無かったのかもしれないけれど、シェアハウスという環境ではそうはいかないので、日々決断疲れしてしまっているのかもしれない。決断疲れに限らず、「瑣末な予想外」みたいなものもきっと苦手で、「コップがいつもの場所にない」とかも若干困惑してしまう。
良いとか悪いとかじゃなくて、自分には困難だったんだろうなと思う。だから、誰かに何かを変えろと言うつもりも無いし、その大義名分も無いと思っているので、引っ越すという選択が最適なんだろうな。
隣に一人暮らしして遊びに来るなんてことができれば素敵だろうに。

平成31年3月15日(金)

起きて、感じたことはなんだろうか。スッキリ起きられたように思う。惰眠を貪っても、緊急のタスクは無いのだから、急いで起きる必要はなかった。けれども起きたのは、きっと起きたかったから。朝日を浴びたかったのかも。

平成31年3月15日(金)

男性は友人と口論になり、ドンキのような店で後頭部を強打した模様。

平成31年3月21日(木)

疲れ果てていた。どれだけ寝ても疲労感が抜けなかった。
川辺でヨガをしてVRで遊んだら、爽快だった。疲れは消え去った。
疲れが消えて、非常に生きやすくなった。

休息が大事だとはよく言われるけれど。その方法は、意識的で計画的であることが好ましいように思う。

平成31年3月23日(土)

今日のお客様は、千歳烏山のお客様だった(薬局の5階のアノイエではない)。隔週の定期依頼をいただいていて、1月からお世話になっている方。始めたのが12月なので、自分の中ではすごく昔から贔屓にしてもらっているような感覚がある。
あと、1ヶ月。隔週なのであと2回しかない。そう考えるとなんだか、今まで以上に丁寧に取り組みたくなってくる。

1つのことをずっと続ける生き方も立派だと思う。そうしなければ得られないものもあると思う。けれど私は、定期的に環境を変えることで、新鮮な気持ちを取り戻せると思う。
どっちが偉いとかなくて、自分がどちらを生きたいかだけれど。

平成31年3月27日(水)

働いた、腹へった、飯食った、うまい。
そんな日々を送って、休日は料理して掃除して公園に行く。
あまりにも同じ日々の繰り返しで、全てが日常になってしまっていた。そんな中、非日常な1日を迎えると、ワクワクする。文明的な街へのお出かけとかね。

平成31年3月28日(木)

1人で大体のことはできると思う。掃除もできるし、料理もできるし、お金を稼いでくることもできる。もちろん、それはこの作られた社会の中での話ではあるけれど。
それでも、たとえ1人で生きられても、風邪ひいたときに代わりにやってくれる人がいたら心強いなーって思う。
結局は1人なんだ。それだけの人間関係を、作れてこなかったんだ。

平成31年3月29日(金)

「嫌なら辞めちまえよ」
と、幾たびも言ってきた。自分にも、他人にも。しかしそれが、あまりに暴力的な言葉であったのではないかと、気付いた。

平成31年3月31日(日)

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