前書き〜令和の時代から、未来の私が〜
考えなくなった。いろいろ難しいことを。それは悩まず生きられているという幸せなことかもしれない。考えられない存在に成り下がったということかもしれない。
それでもいいよ。今の方が落ち着いていられるもの。
自分のGPSを持つ
自分の北極星を持ってる人は多いと思うんです。
目指したい目標、なりたい姿、手に入れたいもの。
でも、GPSを持っている人は、どれだけいるでしょう。
たまには、自分が目標に対してどれだけ近づいたか、目指したい姿は今でも目指したいのか、手に入れたかったものは本当に欲しいのか。そんなことを振り返ってみてもいいかもしれませんね。
というのも、「あんなことを心がける」、「ここを伸ばしたい」って、向上心のある人は思うでしょうけど、そればっかりやってたらどんどん増えていくと思うんですよ。だから、たまには身軽になっていいと思うです。
だから、自分のGPSを持つのって大事だと感じました。
すでに持っている人にとっては当たり前のことですよね(笑)
今更失礼しました。
PDCAって苦手〜
読みたいと思ったときに
不思議と何故だか出会えるもの
潔く死ぬか
どちらかを選べた時点で
それだけで
十分強いと思う
ぼんやりとした不安
デストルドー
的確な言葉がこれだけあるということは
それだけ取り憑かれる人が多いということ?
買ってすぐは真っ直ぐだった
私の足に合わせてか
自然と曲がっていった
大人になるということが
曲がるということだとしても
悪いことじゃないかもしれない
曲がるということは
誰かに寄り添うということでもあるから
辛くても踏ん張れること
踏ん張れる何かがあること
才能を発揮できること
自分に価値を感じること
求められること
大事にされること
大きな幸福を知り
そのためなら
大きな不幸にも耐えられる
そんな人生なら
幸せだと
思っていた
でも今は
薄っぺらく感じる
深く深く沈み込んで
心の内側を探るような人生が
鋭い彫刻刀のような言葉を紡ぎ出すような
そんな人生が
深みのある人生ではなかろうか
私は
自ら不幸を求めているのか?
幸福も不幸も認識が作り出すもの
人の数だけ存在するもの
等しく万物に降り注ぐ運命は
滅び
消滅
消えて無くなること
形あるものも
存在も
文化も
滅びるのだ
ミスコミュニケーション
自分はこうもわかりやすく書いているというのに
なぜこうも相手の返事はわかりにくいんだ
と思うとき
きっと相手も同じことを考えている
自由な時間とそれなりの幸福が得られる人生
自分の才能を認めていただけて引っ張りだこの人生
やりたいことをやりたいときにできる張り詰めない人生
仕事に忙殺され苦労が絶えない人生
熱中するものなんてない普通の人としての退屈な人生
どっちが良いんだろう
どっちも素敵だけど
偏りすぎたら嫌だな
自分の軸と基準を見失わず
自分にとって一番心地よい場所に立ちたいな
好きなことが好きなだけできる人生でも
大事な人を大事にできない人生は嫌だな
悪いことじゃないんだ
カルネアデスの板の上で
相手を突き落として生き残ったって
誰も責めることはできない
でも
最後まで諦めたくない
2人とも助かる道を
今すぐに
「生きるに値する人生」なんて
見つからないのかもしれない
でも
何かが掴めそうなとき
何かに惹かれたとき
すぐに1歩を踏み出せる自分でいたい
すぐに1歩を踏み出せる場所にいたい
日本への帰属意識
私がここにいられるのは
日本という国が存在して
日本民族が存続しているのは
守ってくださった諸先輩方がいらしたから
そんな英霊たちに報いるために
私にできるのは
日本人と日本文化を守り
日本らしさを守り抜くこと
日本らしさを取り戻すこと
その手段は国防に限らない
むしろ私の能力や特性を考慮すれば
国防が私の取りうる選択肢かは疑問が残る
資質や特性を生かして
日本国と日本民族に貢献していきたい
この国家への帰属意識は
外国文化の排除や
先進技術の拒絶を意味しない
日本古来の良いものを現代に取り入れ
外国文化先進技術との調和を図る
そして大東亜共栄圏を
今日の私が最後に見せる私なら?
この言葉が最後の言葉なら?
Anything else is secondary.
自分が幸せになること
生き生きした自分を見せること
それで喜んでもらえると信じて
マンガ除くっていうかQのカヲルくんに憧れる
「僕らの槍じゃない」って言って
そのくせそんなに強く止めない
なんでって思ってた
でもこんな感想を見た
止めたとしてその先にある未来は?
ピアノ弾くしかない未来
ヒゲンドウに背いた上でネルフに戻る未来
ピアノさえ弾けるかわからない未来
考えが至らなかったと気付いた
そこまで考えてフンドシンジくんの幸せを願ったのかもしれない
ただの自己犠牲じゃない
「命に代えてでも」ってだけでもすごいけど
その数段上の行為だと感じた
相手の幸せを心から願って
相手のことを真摯に思って
結果として自己犠牲になっただけ
あるいは逆に自己犠牲は大前提
DSSチョーカーが作動したとき
自分の死そのものを恐れてはいなくて
フンドシンジくんの目の前で死んでしまうことを
ただそれだけを残念に思ったんじゃないだろうか
何もかもが変わってしまって
何もかもを失ってしまったと感じて
そんな中であんな存在が現れたら
それこそ“ANGEL”なんだろうな
サウイウ者ニ私ハナリタイ
私の過去を振り返ってみます
私は自分自身が使命感のみでは動けないと知りました
そのときその瞬間に自分が嫌いだからと
自分の価値を放り出す行為が
未来の自分を苦しめるのだと知りました
自分を大事しないことと
自分を犠牲にすることは全く違う行為なのだと知りました
私は中学生のときに職業を選択しました
決断を先延ばしにしてだらだらと学校に通うのも違う
けれどあまりに早い決断でした
しかし人は失敗によって最も学ぶことができる
というのも確かです
動くから壁にぶつかるし
動くから何かを学ぶことができる
目標:35歳の碇シンジ
14
乗りたくないよ
逃げちゃダメだ
もう誰とも笑えません
僕は碇シンジです
動け!動け!
綾波を返せ
28
ミサトさんたちがこれを付けたんだ
僕たちの希望の槍なんだよ
僕のせいなのか
35
と、こんな人生でしたが
今は立派に
君のキモチよくわかる
加持「辛いことを知ってる人間の方が、それだけ人に優しくできる。それは弱さとは違うからな」
令和元年5月21日加筆
田原坂にて
生とは?
……死とは?
ニヒリズムに染まった私は、強さのニヒリズムという拠り所を得た。
しかし弱さのニヒリズムに染まった私であっても、祖国に殉じることができるのであろうか。
……生きたい。
死への恐怖、それは未知への恐怖だろうか。
それとも動物としての本能?
私は英霊達に恥じない生き方ができるのだろうか。
英霊達に胸を張って会える死に方ができるのだろうか……。
陰は光がなければ存在できない?
では光は?光は陰と別離することができるのだろうか。
東京裁判では陰を作るまいと数多くの照明器具が用意された。
しかしその裁判自体が陰の中にあったのではないだろうか。
人の心の中に存在する陰は、光がなければ存在できないものだろうか。
人の心の中の光は、闇と別離することができるのだろうか。
闇を照らしつくすことはできないのだろうか。
心の闇。自分の醜い部分。自分がいちばん知っている。だから自分を嫌いになることは簡単。そう言った人がいた。その言葉はこう続く。
でもその醜い自分も丸ごと受け入れて、等身大の自分を愛せるかどうか。
降りつづく雨。祖母は言った。「桜が散ってしまう」
良寛は詠った。「散る桜、残る桜も、散る桜」
散らない桜は、桜たりうるだろうか。「桜は散り際が美しい」と何度も聞いた。だが私には未だにその感性が生まれないでいる。
散らない桜に、なりたいと思うだろうか。
思わない。早く散ってしまいたいとさえ思っていたのだ。
私は咲きたいのだ。だが咲くことを恐れてもいる。ホメオスタシス?
私は私自身の中に矛盾を見つけた。
ホメオスタシスが生むのは「蕾でいたい」という感情だ。だが蕾の桜が散ることはないのだ。
平時にこそ
信仰心を持たなければならない
事が起きて
それからすがっても
「おまえ都合いいな」ってならない?
誰かに守られている気がする
土地神様かもしれない
ご先祖様かもしれない
お天道様かもしれない
誰かはわからないけれど
「いつもありがとうございます」
の気持ちで
手を合わせる
私は無学だから
宗教のことはわからない
でも科学が証明できていないことを否定するのはいささか早計なのではないか
人智を超えた存在が科学によって否定されるのではない
科学が人智を超えた存在に追いつけていないのだ
自嘲
自嘲する人は根暗なのか
自分が嫌いだから自分を悪くいうのか
そうとも限らないと思う
仲がいいからこそイジる
友人も
自分自身でさえも
自分が好きだからこそイジる
俺って認められたいんだな
寂しいんだな
へっ
でも好きだよ
そんな自嘲もあるんじゃないだろうか
オラの花嫁
開始5分で泣かされた。
開始10分で笑わされた。
夢を追って石にされる者。
出世するも敵として登場する者。
何かを諦めて生きていく者。
発明する者。
自分がなりたい未来って、どれだろうって。
過去の自分に胸を張って会える未来の自分がいるのかなって。
その未来に繋がるのは、今日、今この瞬間。
自分比で、昨日より今日、今の自分なりに精一杯やってる。それを肯定することがまず第一歩。
そして、しんちゃんのくせにあんな素敵なお嫁さんをぉ〜!
まずは自己愛。自分を愛せなければ、他人を愛せない。
と、思う自分を、防衛機制ではないかと見つめる自分が一人。綾波レイ的自分が一人。
それでもいいじゃないかと、自分を守る碇シンジ的自分が一人。
アスカ「嫌なことから逃げ出したんなら、それでいいじゃん」
シンジ「逃げちゃだめなんだ」
レイ「どうして逃げてはいけないの」
シンジ「逃げたらもっと辛いんだ」
アスカ「辛いことがわかってたなら、それでいいじゃん」
シンジ「逃げたら誰も相手にしてくれないんだ。僕に価値が欲しいんだ。誰も僕を捨てないだけの……」
認識の色眼鏡
相手のことを「わかる」と思っているうちは決め付けている
人は自分の「認識」という色眼鏡で世界を見ているのだから
共感の中の相違点に気づいたときが
やっとスタートライン
なんじゃなかろうか
優先順位の付け方
緊急で重要が一番。
私を、
今この瞬間、
強く望んでいるのは
誰か。
炎を手に入れ、智恵を手に入れた。だから人間になった。でもそれは喜劇だったんだろうか、悲劇だったんだろうか。
内部対話が思考や人格を形作っている
私の内側の構図は
理性の自分と感情の自分
自分を嘲る理性と怯える感情
自分を責める理性と責められ恥じる感情
自分を見下す理性となされるがままの感情
感情はいつも一方的な被害者だ
私の中の理性的な自分が主導権を握るとき
理性的な自分は自分自身を罵倒する
私の中の感情的な自分が情熱に従うとき
理性は黙っている
いつも罵倒するくせに応援さえしてくれない
でもそんな構図だって
きっと変えていける
自分自身にうまくニンジンをぶらさげ
ときに撫で摩るような
そんな向き合い方をできるようになりたいと
最近感じるようになった
自分が好きかなんてわからない
でも好きになれるかもしれない