心にうつりゆくよしなしごとをそこはかとなく書きつくって自分を集めた事典
ふんどし王子随筆集〜R2.4〜

ふんどし王子随筆集〜R2.4〜

いま誰かに優しくされたら、きっところっといく。そう思いながら、その「誰か」に誰を当てはめてみてもしっくり来ない。こんなときに胸の内をさらけ出したいと思えるような相手はどこにもいない。その関係性を築くことができなかった。誰とも。

令和2年4月1日(水)

誰かといると寂しさを忘れられる。けれど寂しさに慣れることもある。慣れてしまえば「自分の時間」が豊かになる。日々誰かと過ごしていて、ふっと一人になる瞬間は案外寂しくて、落ち着いて読書なんてできなかったりする。開発するにしてもまとまった時間がほしい。
だから寂しさになんて早々と慣れちゃって自分の時間を充実させた方が、豊かな時間を過ごせるし幸せな時間なんじゃないだろうか。なんて言ってみるけれど、それでもやはりたまに街を歩いたりすると手を繋いで歩く男女が羨ましくなったりする。
半年ほど前、メンタルモデルを読んだ。「どんな言葉に泣きそうになるか」想像すると、どのメンタルモデルかを考える参考になる、と大阪で出会った友人。

私はどんな言葉に泣きそうになるだろう。
「一人じゃないよ」って言われると泣きそうになるかもしれない。
amazonの商品ページはこちら

令和2年4月3日(金)

タスク消化を快感と感じることが多い。けれどそのためにタスクを創造していやしないかと思うと怖くなる。

令和2年4月5日(日)

令和2年4月11日(土)

記憶の美化ってやつは、どこにいても起こる。1日でも早く抜け出したいと思っていたはずの環境でさえ、時間が経って振り返ると切なさを伴って思い出されることがある。もう二度と、過去へは戻れないというのに。
けれど、だからこそ、前を向いて歩かないといけない。歩いていきたい、そう思った。

令和2年4月22日(水)

20歳前後の頃。(遠い未来だと思っていたのが、いつの間にか過去になってしまった)
「やりゃいいんじゃなくて、相手が求めていることをやらないと意味ないよ」とお叱りを受けたことがある。その時点で新しい視点をいただいた気はしていたのだけれど、最近加速したなと感じる。
令和元年までの自分と令和2年に入ってからの自分。境目は別に年越しというわけではないけれど、「前倒しにしすぎない」意識が生まれたように思う。
以前は「なんでもなる早でやる」「自分こそが率先躬行してやる」と思っていたけれど、無駄や二度手間も多かった気がする。「見ていてうるさい」とも感じていた。少しは洗練された振る舞いをできるようになったように思うし、肩の力も抜けた気がするけれど、前より「動けないやつ」になった感も否めない。
「動いていないと不安」からくる防衛機制だったのかな。手放して楽にはなれた。
関連記事:言うならやれよ思考整理のために書いた文章が気に入ったので一部抜粋

令和2年4月29日(水)

4月の出来事

スキー場での仕事が終わった。滑ってから旅立った。坊主入刀で初めて坊主にならなかった。
ゲストハウスに連泊した。併設の学童保育に遊びに行った。
介護の仕事をしないかとお話をいただいた。いま、どう過ごしたいか。そう考えて答えが出た。それを選べるって、思い出した。
シェアハウスに入居した。

令和2年5月29日(金)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です