心にうつりゆくよしなしごとをそこはかとなく書きつくって自分を集めた事典
ふんどし王子随筆集〜31.1乙〜

ふんどし王子随筆集〜31.1乙〜

自衛隊を辞めた理由はいくつもあるけれど。
初対面で答える場合は「この話」がちょうどいいかもしれない。

祖父は早くに亡くなっていた。けれど、祖父の友人が孫のように可愛がってくれた。
お葬式に、行けなかった。仕事の都合で。お通夜にしか行けなかった。それも、なんとか時間を作ってやっと、一目お顔を見ることしか叶わなかった。

嫌いな仕事じゃなかった。楽しいこともあった。
けれど、身軽に動ける自分でいたかった。

平成31年1月20日(日)

何かをするということは、命を削るということ。だってそうじゃない?自分の人生には終わりがあって、時間は有限で、その有限の時間のうち一部を割り当てるということは、命を削るということ。
私が命を削りたいことは何だろう。
やりがいのために行う仕事。心地良さに繋がる習慣。誰かと話すということ。
自分から話せる人や、誰とでも分かり合える人よりも、表現が得意でない人や、自分でさえ言いたいことがわかっていない人が、言葉を紡ぐ手助けをしたい。

平成31年1月20日(日)

お世辞は言わない人間だけれど、STRは「どれを言うか」の話だと思っている。数ある想いの中で、嘘偽りない想いの中で、相手が▽なら「すごい」に焦点を当てるし、◻︎なら「実績」に焦点を当てるし、○なら「努力」に焦点を当てる、全て正直な気持ち、そういう話だと思っている。

平成31年1月21日(月)

人生において、89%はどちらでもいいこと。残りの11%が自分でわかっていればいい。
もっと言えば、10%は他に手段を知らないだけ。本当に大切にしたい1%だけにこだわればいい。その1%だけは、何としてでも大切にしたい。
(割合は直感&主観)

平成31年1月21日(月)

私は、自分のことを「ご飯依存症」だと思っている。食べないと禁断症状が出て、考えがどんどん後ろ向きになる。
「睡眠依存症」でもあると思う。きちんと寝ないと、やはり禁断症状が出て考えが後ろ向きになる。

平成31年1月21日(月)

スポイルされた熊は射殺していいことになっている。野生を忘れてゴミを漁るようになったクマは、人に危害を与えるのだと。鈴原トウジはそう語る。
スポイルされた人間は神に射殺される。とも。
果たして、わたしは神に射殺されないと断言できるだろうか。野生を忘れて人間に成り下がった私、目標を立てずに生きている私、その日その日を生きている私は、スポイルされた人間ではないと言い切れるだろうか。

しかし私たちは火を恐れなかったはずだ。私たちは知恵の実をかじったはずだ。私たちはその時、人間に成り上がったはずだ。
夢がなくとも生きていけることを証明してみたい。
夢を追わずに、夢に追われる生き方ができると証明してみたい。
それが私の、夢だ。

平成31年1月22日(火)

↑「目の前のことを1つひとつ丁寧にこなしていけば、達成感も得られるし幸せだよね」という内容を付け加えようとして、「あれ、それって狩をしていた頃、つまり野生に戻ることだよね」って思って、筋が通らないことに気づいてやめた。
一番言いたかったことそこなのにな。

平成31年2月5日(火)

Kは言った。走ると長くは生きられない。
私は思った。走らねば生きられない。
走ることで、忘れられる。押し潰されずに済む。

平成31年1月24日(木)

イヤフォンを付けて夜道を走る。ランダムなプレイリストは、”Dead man’s boots”を流しはじめた。
造船所で息子を働かせたい父と、ギターを片手に街を飛び出したい息子のすれ違いを歌った歌。
この歌を聴きながら、夜の駐屯地を走っていた。もどかしさを胸に。いつまでも自衛官をやめられない自分を、歌詞に重ねて。
その頃の何分の一という稼ぎで、足も遅くなり、持っているものは遥かに少ない。そして得たものは遥かに大きい。

平成31年1月27日(日)

気づいたら17km以上走っていた。帰宅して食べたカレーが、とてつもなく美味しかった。そして幸福感に包まれた。
人間の幸せとはそういうものかもしれない。走らなければお腹は空かないだろうし、あらゆることが自動化できるのかもしれないけれど、それを「あえてやる」ことで幸福感を得られるのかもしれない。「無駄にこそ価値」があるのだろうな。

平成31年1月28日(月)

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