心にうつりゆくよしなしごとをそこはかとなく書きつくって自分を集めた事典
生命の実と智恵の実〜うつだった頃〜

生命の実と智恵の実〜うつだった頃〜

前書き〜令和の時代から、未来の私が〜

最近、自分が脳筋になったと感じる。「働いた、腹減った、飯食った、うまい」に満足して、難しいことを考えなくなった。生命の実だ智恵の実だって、ただの状態なのかもしれないし、一時的に脳筋でいられるだけなのかもしれない。
それでもいい。私は今日も、生きている。

令和元年5月25日
生命の実と智恵の実

私は時に思うのだ。
人間には2種類いる。生命の実を与えられた者と智恵の実を与えられた者。
 
 
生命の実を与えられた者は、当然のように生きていく。悩んでも困っても生きていく。壁にぶつかりながらも乗り越えていく。
あるいは時に、何かを諦めながら、無力感を感じながら、それでも生きていく。生という選択肢を、毎日選びつづけることが当たり前だとでもいうように。生という選択肢を毎日与えられて然るべきだとでもいうように。

生命の実は種子を残す。新たなる生命という種子を。その種子からは、どちらの実がなるのだろう。
 
 
智恵の実を与えられた者は、苦悩する。時に死という誘惑が手招きする。芥川の言葉を借りれば、「苦悩によってではなく、ぼんやりとした不安によって死する」のだ。

智恵の実も種子を残す。芸術という種子を。その種子からは、何が生まれるのだろう。
 
 
しかし私は時に思うのだ。
私には、生命の実も智恵の実も、いずれも与えられていないのではないかと……。
 
じつは人間にはもう1種類いる。
生命の実の、果樹園の所有者がいる。

奴隷が奴隷でいられなくなったんだ。だから精神疾患が増えたんだ。奴隷でいることは楽なのに、智恵の実を齧ってしまった。蛇にそそのかされて?さあ。ともかく、楽園を追放されてしまったのだ。

平成29年4月25日

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