心にうつりゆくよしなしごとをそこはかとなく書きつくって自分を集めた事典
ふんどし王子随筆集〜30.11〜

ふんどし王子随筆集〜30.11〜

ミャンマーにいたときより、圧倒的に幸せを感じる。人に癒されているのかな。
平成30年11月4日(日)

目の前の人がどんな経験をしてきて、どんな怖い思いをしてきたのかは、きっとわからない場合の方が多い。だから、もしかしたら、知らず知らずのうちに逃走闘争本能を刺激してしまっているのかもしれない。
「僕は君を脅かさないよ」ってメッセージを、毛穴という毛穴から発したいなぁ。

平成30年11月5日(月)

久々に公衆電話を使った。
まずお茶を買って小銭を作った。100円だとお釣りが出ないので、10円を入れる。「落ちる」。また入れる。10円が無くなりそうなので100円を入れる。ちょっと損した気分。
テレカ1枚持っといても損はないよな。薄いし。

平成30年11月6日(火)

散歩するみたいに生きていきたいんだ。時に誰かと、時に一人で。行くあてもなく。
歩くの自体が嫌なわけじゃないんだ。

平成30年11月18日(日)

疲れているときの自分は、あまり好きじゃない。それとは別に心地よい疲労感みたいな状態もあって、そちらは好きなのだけれど。
疲れていると、人を責めたり、八つ当たりしたり、そんなことばかり思う。

平成30年11月18日(日)

ミイラ取りがミイラになる
草履取りが草履になる
どっちも怖い

平成30年11月21日(水)

生は呪い。頼んでもいないのに生まれてくることを強要され、死への恐怖を植え付けられる。
そして息を吸って吐いているだけでは存在も許されない。
人生ハードモードだな。人間って。林檎をかじらなければよかったの?

平成30年11月21日(水)

↑同じ日に書いたとは思えない

平成31年2月3日(日)

誰かの話を聞くってさ。知らないことについて聞くか、知っていることについてその人の解釈を聞くか、大体どちらかで、つまり新しいことを聞く場合が圧倒的に多い。
だから、基本的に訳わかんないから、1つ1つ噛み砕きながら聞かないといけない。「この言葉はこんな意味かな」って考えながら聞かないといけない。その過程で「この理解で合ってる?」が出てくる。
そんな私の聞き方を、対話力があると表現してくれた人がいるけれど、私としてはそうしないと付いていけなくて、理解するので精一杯なんだよな。

平成30年11月22日(木)

人はパンのみにて生きるにあらず
しかしパンなしでは生きていけない
そうまでして
なぜ

平成30年11月22日(木)

気持ち悪い
ただただ気持ち悪い

この気持ち悪さに
言葉を与えることが
できないし

根源を特定して取り除くこともできない

それが尚一層気持ち悪い

平成30年11月22日(木)

日記を書く。昨日の自分が何をしたか、思い出して書き留める。
それは時間への反抗。何もせずに時間ばかりが過ぎてしまう恐ろしさに対する、抗い。

平成30年11月28日(水)

もがいた1ヶ月であったように思う。進まなければいけないが思うように動けず、別れが重荷を取り去り、そして次に進まなければならない重圧が再び生まれ……。
けれど、セレンディピティはまたしても訪れた。光明は12月半ばに訪れ、1ヶ月半もの間、冬の寒さに耐え、そして今、春の足音が聞こえてきた。まだ、やれるようだ。

平成31年2月3日(日)

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