心にうつりゆくよしなしごとをそこはかとなく書きつくって自分を集めた事典
ふんどし王子随筆集〜R1.8〜

ふんどし王子随筆集〜R1.8〜

日陰や標高の高いところで連日仕事していたから気づかなかったけれど…………
……

アツは、ナツいねぇ。
令和元年8月1日(木)
一緒に出かけるのが、大切な人であればあるほど、その人しか見えなくなってしまう。行った先々の素敵な景色を味わえなくなってしまう。だから一人で出かけて、気に入った場所に大切な人を連れて行くのが私にはちょうど良いのかもしれない。
—大切な弟と出かけてみて
令和元年8月2日(金)
この人、好き嫌いで話しているなと思う自分が一人。
あれ、今の自分は過度に同調してしまっているなと思う自分が一人。

自分の考えは自分のものだと思う自分が一人。
でもそういえば誰彼さんがあのとき言った言葉に染まってしまっただけじゃないかと思う自分が、ひとり。

令和元年8月4日(日)
必ずしも年上を尊敬しなくてもいいと思うようになったのは、いつからだろう。大人だからって正しいとは限らないと思うようになったのは、いつのことだろう。
そして一層、尊敬させてくれる大人を尊く思うようになったのは、いつからだろう。
令和元年8月4日(日)
年下だからとか関係なく、すごい人はすごい。けれど「年相応だな」と思う場面もよくある。それでも恐ろしいのは、「年相応だな」と思う部分は年齢とともに成長していくと思われるので、そうなったら太刀打ちできなくなるんだろうなということ。
別に比べて落ち込むつもりもないけどさ。自分は自分として生きていくけれど。
「この人には敵わないな」って思う相手ってたまにいる。
令和元年8月5日(月)
ノータックパンツを買った。ウエストで合わせると太ももがきついからと太ももで合わせたらウエストが余った。ベルトするけれど気持ち悪いので腰を縫って詰めた。ウエストは細くて太ももは少しゆとりのあるズボンないかな、と思って気づいたのだけれど、そのためのワンタック・ツータックパンツだった。
令和元年8月5日(月)
私たちに
変えられないものを受け入れる心の平穏を与えて下さい。
変えることのできるものを変える勇気を与えて下さい。
そして、変えることのできるものとできないものを見分ける賢さを与えて下さい。

と言った人がいたけれど。それが大人なのかな。その賢さでもって、変えられないことだと判断したら何もしないのか?

令和元年8月6日(火)
正直、自分の幸せが一番大事だと思ってる。
けれど自分ひとり幸せでも寂しいし、
幸せな人に囲まれて過ごした方が楽しいし、
出会ってくれた人たちには幸せでいてほしいと思う。
だから願う。幸あれ。俺に。世界に。
令和元年8月9日(金)
先日花火大会を見に行ったら、みんなの夢が貼り出してあった。いろんな夢があったけれど印象的だったのはYouTuber。そりゃいても不思議じゃないけど、結構ある。それって一昔前はプロスポーツ選手だったのかな、なんて思ってふと考えた。
なりたきゃ目指せばいいと思う。「どうせ無理」なんて言う大人にはなりたくない。けれど、「その子の世界に存在するかっこいい大人」が「テレビで見るスポーツ選手」や「YouTubeで見るYouTuber」しかいないのだとしたら、すこし寂しい気がする。
かっこいい大人ってたくさんいるのにな。
令和元年8月12日(月)
運も要領も悪くて夜間に一人で20km行軍することになりかけたけれど、職場の同僚とお兄様に助けられて温かい布団で寝られた。
優しさをもらってばかりで、何もできていないな。
令和元年8月16日(金)
FacebookもLINEのタイムラインも自分の中ではストックメディアなのだけれど、Twitterだけはフローメディアだと思っているので、もっと気軽にツイートしてみようかな。
令和元年8月20日(火)
忘れてた。投稿しても見てくれる友だちがいないんだった。
令和元年10月1日(火)
何かを失うということは、何かから解放されるということだと思う。さいきん、めっちゃ心のリソースを解放された。いや、正直に言うと「これから解放される」とか「解放されてほしい」だと思う。
いずれにせよ、人生楽しまなきゃなって思った。めいっぱい楽しみたいなって思った。
令和元年8月25日(日)
万年筆を握るとき

 

令和元年8月26日(月)
取り戻したい。自分を、自分のペースを。
主体性を手放したとまではいかないけれど、日々追われてるな。時間に追われるな、時間を追え。
令和元年8月28日(水)
君となら

令和元年8月28日(水)
裸の王様恐怖。この言葉はこの辞典で繰り返し登場するし、忘れたと思っても再び現れて私を孤独にする。
けれども、そんな自分でも誰かの役に立っているのだと思うと、少しポカポカする。特にこの辞典に共感してもらえたときや、誰かの心を軽くできたときには、胸の奥が温かくなる。他の誰かにもできるかもしれない「行為」ではなくて、他ならぬ私自身の「思考」が受け入れられたということなのだから。
裏を返せば、本当の意味ではまだまだ一人ぼっちだと思っているのかもしれない。たぶん昔に比べて目の前の人と当たり障りなく接することはできるようになったし、思想や価値観や過去について話す場面もある。けれど日常生活で自分の思考が受け入れられて当然だと思うに至ってはいないのかもしれない。そこを目指すつもりもないけどさ。

僕はここにいてもいいのかもしれない、僕はここにいたい、僕はここにいてもいいんだ!

令和元年8月30日(金)
あとがき〜8月を振り返って〜

リゾートバイト日本一周。1ヶ所目の仕事が8月末で終わった。最後の1ヶ月は自分にとってどんな1ヶ月だったろうか。
全期間を通して感じることは大きく2つで、職務面では「お客様の笑顔を見ることが好きだと価値観を再認識できた」という点で、私生活面では「1泊2日の旅行で来てもできなかったような濃い観光ができた」という点だと感じる。

とか何とか堅いことは置いといて。
令和元年8月という月はちょっと疲れ気味だったと感じる。それでいて軽い躁の時期もあった。うつ病の通院も服薬も過去のことだけれど、今でも軽い躁と軽い鬱を繰り返しているように感じる。忙しいときでも予定を詰めてちょっとテンション上がってた。
夏休みだったから、他の月ほどは休みがなかった。そしてリゾバが終わるということは新生活が始まるということ。
繁忙期で今までのように外泊が容易でないけれどどうしよう、9月からの住居をどうしよう、坊主入刀のことも考えなきゃ、契約期間満了後は旅行して帰りたい、そんなことを考えていて決断疲れしてしまったように感じる。
やっぱ決断疲れしやすい人間なので、それを考慮して振る舞いたいな。楽しそうだからと複数の軸を同時並行にしてしまいがちだけれど。

自分にとって心地よい時間かどうか。目の前の人に誠実になれるかどうか。今のところ、自分にとって大事な価値観ってそんなことのように思う。

令和元年10月1日(火)

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