心にうつりゆくよしなしごとをそこはかとなく書きつくって自分を集めた事典
ふんどし王子随筆集〜R1.6乙〜

ふんどし王子随筆集〜R1.6乙〜

ジョジョを観て(ネタバレなのでドラッグして読んでください)
第1部

終盤目頭が熱くなった気がするけれどどこだったっけ。ツェペリのおっさん?エリナおばあちゃんにジョジョが「あの子を助けて逃げろ」って言ったところだっけ。

第2部

リサリサって誰よ?ツァラツゥストラ、じゃなくて、誰だっけ。あのロン毛が継承したんでしょ?(のちに私は真相を知ることとなる)
ジョジョ「俺はあいつの、触れられたくない過去に触れてしまったんだな」いやいや、じいちゃんの話はすでに知ってたやろ。
シーザーー!!!(泣)
ワムウかっけえ
リサリサって、エリナおばあちゃんが助けた赤ちゃん?あれ、それってジョジョのお母さんじゃないの??(のちに私は真相を知ることとなる)
天才は、仲間一人とまだ幼かった子どもを連れて……(エシディシとワムウ?あれサンタナは?)
シュトロハイムが戦死?あいつが?
サンタナどうなった?ずっとスピードワゴン財団が紫外線当ててんの?

第3部

あれ、ディオの棺桶?って、エリナおばあちゃんが入って逃げたんじゃないっけ。上げ底の下にディオがいた?あれ?エリナおばあちゃんが助けられた後に入り込んだ?
スピードワゴン財団、自家用飛行機は用意できなかった??
(8/1現在まだ最後まで見ていない)

令和元年6月14日(金)
お豆腐屋さんで買ったお豆腐が美味しかった。ただ1つ残念なのは、蓋が手で開かない。(スプーンの柄で突かないと開かない。戦闘糧食でも2型なら手で開くぞ)
令和元年6月14日(金)
父性原理と母性原理という言葉があるけれど、私は割と母性原理の人間なので、「その人を好きか」で許せるかどうかが決まったりする。
尤も、「その人を好きか」は「その人の振る舞い」で決まるのだけれど。
「この人悪い人じゃないんだな」って思えた瞬間に許せることも多い。
令和元年6月14日(金)
「いい朝を迎えた」という感覚。昨日と今日。一昨日、溺れるように眠ったからかな。
令和元年6月17日(月)
アベンゲリオンCURRY

大人気アニメ「新世紀アベンゲリオン」の舞台から3年、人類カレー計画が発動しなかった未来で、3人のアベナミカレイたちが宇宙空間から”奴ら”の再来を警戒していた。本当に何も起こらないのか?急速に弛緩していく世界で、ある日突然アベナミカレイNoカトルが異常をきたす。突如現れる巨人アベマロス。打ち込まれる茶色い鱗CRシグナム。高校生になったチルドレンたちは、何を考えどう動くのか。

〜ここからボケずにANIMAの感想〜

おかんと同じ遺伝子の、同い年の女の子を1人の人格として扱えるか。
同じ遺伝子で4人いるだけなら、それぞれ別の人として接することができると思う。特に身長とか性格とか違えば。なのになぜか、おかんと同じ遺伝子というだけで、ちょっと身構えてしまう。
あれ、例えばオリジナルアスカとクローンアスカだったら??うん。別の人として接することができると思う。
高校の恩師と、そのクローンで自分と同い年の存在がいたら?あ、気まずい。
「引っ張られる」と言ったら簡単かもしれないけれど。もっと的確な表現があるんじゃないかな。

他には、考えたことはなかったかな。エヴァ本編ほどは深く考えず、単に楽しく読めた。シンジ君は男らしいし、アスカはめっちゃ良い子だし、綾波たちも愛おしいし。

令和元年6月21日(金)
シン・エヴァンゲリオン最初は2008年に公開と言っていて、既に新世紀にはなっていたけれど延期延期のうちに令和になってしまったので、こりゃもう新元号エヴァンゲリオンですね。
令和元年6月21日(金)
話していて楽しい人と、話していて疲れる人がいる。その中間で、なぜだか盛り上がらない人もいる。
この違いはなんだろう。相性みたいなところが大きいのかな。それとも共通項として「こんな人は話していて楽しいと思われやすい」みたいなのもあるのかな。
いずれにせよ、自分は「話していて楽しい」と思ってもらえる自分でありたい。

職場のお兄様で、私が話したいことをこそ尋ねてくれる素敵な人がいて、すごく居心地がいい。(だからこそ裸の王様恐怖に繋がったりもする)

令和元年6月21日(金)
〜ただただ頭の中で思ったこと〜

「仕事を作っちゃう人」って、一定数いるんじゃないかと思う。聞いたわけでも目の当たりにしたわけでもない。もしかするといないかもしれない。けれど、いたとして、思うこと。

たとえば、缶もビンもペットボトルも、同じ袋に入れていても機械が分別できるようになったとして(すでにできるかもしれないけれどそこは本質でないので調べもせず例え話に留めるとする)、すでにその人の自治体にはその装置が導入されているとして、それでも知らずに「分別しろよ」と目くじらを立てて言って回るかもしれないし、知っていても「今まではこうしてきたんだ」と言って回るかもしれないし。

そんなことよりも、誰かを幸せにすることに時間を使いたいな。あるいは自分を。
そしてもしかすると、自分も仕事を作っちゃっていやしないかと不安になる。
そんなことを思った休日の朝。

令和元年6月24日(月)
「パソコン得意ならそれを仕事にしなよ」とか「資格取っておきなよ」とか言われることが時折あって、言ってもらえることはありがたいと思うけれど、自分はあまりそうは考えないかな。もちろん自分に何ができて何が苦手なのかは考えるけれど、あくまでスキルは手段でしかないと思う。パソコンにしても英語にしても、他のあらゆるスキルもだと思うけれど、解決したい課題は何か、幸せにしたいのは誰か、そのために自分にできることは何か、って考えたときに自分のスキルは何かという話になると思う。
これからもきっと増えるしね。私のスキルも、世界に存在するスキルも。
令和元年6月24日(月)
これまで感じてきた痛みからなのか、単に頭の回転が遅いのか。言葉がすぐに出てこない。多くの場面で、「そうですか、そしたら仕方ないですね」といった具合に当たり障りなく場を締めてしまう。あとから、「こんな言い方をすればうまく伝わったろうに」などと思い付いたりする。
偽善者に見えるかもしれない、心のどこかで良い人を演じたいと思っているのかもしれない。けれど、理由はどうあれ、言葉が出てこなくてもどかしい場面が多い。
「はい」しか言わないと大切な人守れないよ。そう思って反抗した高校時代。あれ、あの頃は言えた?
令和元年6月24日(月)
誰かに腹が立つとする。次の瞬間、その人を哀れに思う。「そういう振る舞いしかできないんだな、この人は」と思う。そして、自分も同じだと思って惨めになる。
令和元年6月24日(月)
あとがき

随筆とは別に日記も書きますが、6月の随筆・日記を読んでいると、どうやら疲れていたらしいということを感じました。振り返ってみても、今の方が余裕あるように思う。

令和元年7月29日(月)

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