生きていたくなくなる瞬間

生きていたくなくなる瞬間

令和2年1月10日(金)

僕はチーターだ。そう考えると自分が愛おしくなる。ネガティブな言葉が嫌いだったり、瞬発力はあるけれど持久力がなくて飽きっぽかったり。人って違うんだ、これが自分なんだ、そう感じられて、可愛くなってくる。めげそうになってもクスリと笑えてくる。
外国人のお客さんに英語が通じて、一人で嬉しくなる。人間の幸福度ってそんなもん。ちょっとしたことで嬉しくなって、大したことなくても世界の終わりみたいに感じて。
疲れちゃったとき、見栄っ張りなので弱音を吐くまいとするのだけれど、顔に出ちゃうからきっとかっこ悪い。それでもそんなときこそ良い文章が書ける気がする。楽しむときと書くとき、両方が人生の中であってもいいのかなって思えて、ちょっぴり楽になった。
知り合いが小説を読んでくれたらしい。「人間味がある」って言われて嬉しかった。なんで嬉しいんだろう。人間失格だと思っていたから??人間性の回復の時期なのかもしれない。回復?獲得?
まあ知り合いに読まれると恥ずかしいのだけれど。誰かに楽になってほしいと思って書いたものの。

令和2年1月16日(木)

傷ついた人には優しくしたいと思う。けれど、縋られても支えてあげられない。最初は優しい顔をしていて途中でいなくなるの、一番傷つけるよな。きっと。

令和2年1月17日(金)

やってみせ 言って聞かせて させてみて 褒めてやらねば 人は動かじ
If you wanna make the world a better place, take a look at yourself and then make a change.
どんな言葉がそのときの自分に響いていたか。それを思い出してみると、そのときどんな気分だったかわかる気がする。

令和2年1月19日(日)

悩んでる暇なんてないくらい、楽しいことで埋め尽くしちゃえ。時間もリソースも。

令和2年1月21日(火)

スキーが楽しい。最初はファミリーリフトに乗るのすら不安で、坂道をカニさん歩きで登って「降りる」を10回くらい繰り返した。それですら転んだ。けれどファミリーコースを「滑れる」ようになって、他の初級コースも「滑れる」ようになって、先週は中級コースも「降りられた」。(道民はボーゲンするようじゃ「滑れる」って言わないらしい)
できなかったことができるようになるって、楽しい。って言うと、わざわざ言うのが痛いようなあたり前のことのようにも感じられる。けれどその当たり前みたいな小さな幸せを大事にしたい。今まで感じることが少なかったから。
初めは優等生になろうとした。叱られるづける自分から抜け出したくて、模範解答を演じようとした。
その次に自分は人間失格だと感じるようになった。必死で人間を模倣していた。
今の自分は人間性の獲得の時期にあると感じる。人生を楽しむことが少しずつできるようになってきた。幸福のパルスの最大値が高い瞬間は昔もあった。けれど今はバイアス+DCが上がってきていると感じる。PRIも短い。つまり平常値が上がって幸せを感じる頻度も高い。
そしてこれからもっと良くなるんだろうなと思える。もっと楽しいことに出会うのだろうし、もっと成長していけるのだろうなと感じる。

令和2年1月26日(日)

pythonも勉強してみようか。そんなことを考えていながらも、やはりPHPは私にとって思い出深い言語だなと思う。高校時代にテスト勉強もそっちのけで触ったC++と同様。
最初に受けた仕事は、ethnaというすごく古いフレームワークで作られたシステムの整備。ソースコードからキーワードになりそうな語句を検索して付け焼き刃の修正をしていた。
それからlaravelに移築して。
思い出深い。

令和2年1月30日(木)

日記から抜粋

QOL高いど!自分の料理が美味しくて幸せ。
愚痴ばっかの人疲れる。という愚痴。成長課題あるよな。
報酬回路による行動強化と魂の声の切り分け。「さばける自分」に固執していないか?

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