最近出会った印象的な言葉
「何が幸せかを思い描くのは難しいが、何が不幸せかを考えたときに浮かんでくるものはいくつもある。それらを減らしていきたい」
これはすごくいい思考の補助線をいただいた気がする
令和5年5月19日(金)
人間の奴隷化
「人間は農業を始めて穀物や野菜を手なづけたつもりでいるけれど、逆に人間の方が奴隷化されたのだ」
という主張がある。必死になって水を確保し、病気から守り、育てている作物の「種の存続」のために力を尽くしている。という見方。
家畜もそう。種の存続を進化の成功指標と捉えるなら、家畜は人間を奴隷化して繁栄した例と言える。
半導体もそう。半導体を使って便利な生活を手に入れたとも言えるし、必死になって半導体を日々製造しているという側面もある。
ソフトウェアもそう。ソフトウェアを種ととらえるなら。
AIは可能性を秘めている。世界は変わるだろう。
しかし万能ではない。AIが処理しやすい入力を人間が整えてあげる必要がある。少なくとも2023年時点では。
工業用の機械を目の前に、こんなことを言った人がいる。
「材料が切れたら投入して、不具合が出たら取り除く。どっちが使われているかわからない」
AIを便利に使いこなしているつもりでいて、AIが処理できる入力を整えるのが人間の仕事で、クリエイティブな出力を出すのがAIの仕事になっていくとして、果たしてどちらが使われているのだろう。
そしてそもそも、主人であることは幸せのために不可欠なんだろうか。
令和5年5月19日(金)
自分の価値観の移り変わりを振り返ってみる
虚無感に打ちひしがれた中学生時代。死ねば灰なのに何を努力することがあるんだろう。
社会的地位で自分を満たそうと思った高校時代。陸上幕僚長になりたかった。
自分の価値観に基づいた自己実現こそが幸福だと信じた20歳前後。ふんどし屋さんになりたかった。
メンタル壊して実家療養していた20代初め。結局マズローの階段を登ったところで坂の上の雲には届かない。
なんとなくミャンマーでボランティアして、ご縁でLaravelの案件もらって、明日の食い扶持を稼ぐために家事代行をやった。自分の力で生きていく。ただそれだけに必死だった。
リゾバした。コロナがやってきた。ニートしながらソフトウェア作った。物作りしたい自分に気づいた。再発見した。そうだ、保育園の頃から「発明家になりたい」って思ってたんだ。
エンジニアとして定職についた。食い扶持稼ぐこととやりたいことの分離ができた。表現の手段としての開発スキル。
そして今。暇と退屈の倫理学。自分に余白を許すということ。全自動卵割り機を作らせてやるということ。作りたくなったものを作れるということ。
諸行無常。
ただ因果だけがそこにあるということ。
根底に虚無感があるからこその自由。執着からの解放。
令和5年5月24日(水)
5月の出来事
- GoogleスプシとGASで自由研究
- 行き先を決めずに電車で旅
- 誕生日
- 自社Podcast収録
- HAjizome2
- 5月生まれ合同誕生会
令和5年5月31日(水)